弓張の滝

写真をクリックすると大きな写真を見ることができます。

 立て札には次のように書いてありました。

 鎧の滝・弓張の滝

  曽我の里の谷津と別所の境を流れる剣沢川の上流、剣沢山の深い谷筋に二段の滝があり、上段は鎧の滝、下段が弓張の滝と呼ばれてきた。 「新編相模国風土記稿」によれば、当時鎧の滝は高さ八尺(約2.5m)、弓張の滝は一丈五尺(約4.5m)であった。
 室町時代、剣沢には剣状の岩が立ち、名所として知られていた。 文明十八年(1486)の冬、ここを訪れた聖護院道興准后は「此頃はみさびわたれる剣沢、こほりしよりぞ名は光りある」という歌を残している(廻国雑記)。
 また戦国時代には、小田原北条氏支配下の数人の若侍たちが、この滝の下で藤の花見を楽しんだという。 その一人はその情景を「滝水にうつろう影もしげり行 松に契りてさける藤波」(小田原記)と詠んでいる。

 小田原市教育委員会