監的壕(2008年12月13日)

 平成7年6月の福光町教育委員会と東太美地区自治振興会の案内板には次のように書いてあった。

監的壕(メダマかんてっこう):案内板にはこう書いてあったが「カンテキゴウ」が一般的か?
 この地一帯は立野原陸軍射撃練習場であった。
 明治29年(1896)金沢市に第9師団が強化設置された。
 その演習場として明治31年以降数回にわたり180万坪(600ha)が買収された。
 9師団には砲兵装備があって、全国でも富士山麓に次ぐといわれる大演習場となった。
 富山・石川・福井の各県と岐阜の一部を徴兵区とするこの師団は各兵科に別れ実戦さながらの実弾射撃が展開されて、その爆音は遠く井波・庄川町にこだました。
 この監的壕は砲弾の的中率、性能、効果を観察する所であり当初は土抗であったものを昭和3年に近代的で強固な球状型コンクリート製に改修された。(以下略)


監的壕

内部

監的壕(中央奥)

医王山(監的壕より)

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